| 書 名 | メディアミックス化する日本 | ||||||||
| 著 編 | 大塚英志 | ||||||||
| 協 力 | |||||||||
| 出 版 | イースト・プレス | ||||||||
| 発行日 | 2014年10月27日 | ||||||||
| 発行地 | 東京 | ||||||||
| 定 価 | 907 | ||||||||
| たてcm | 18 | ||||||||
| よこcm | 11 | ||||||||
| 備考 | |||||||||
| ISBN978-4-7816-5039-5
イースト新書 039 |
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| 内容 | |||||||||
| [目次]
イントロダクション KADOKAWAとドワンゴの合併は何故、間違っているか〜企業に管理される快適なポストモダンのためのエッセイ〜 KATOKAWA+ドワンゴは「コンテンツ」+「インフラ」ではない オタク的市場に最適化する 物語ではなく物語生成システムを売る 角川歴彦型メディアミックスの本質 物語の工学化 インフラの中で創作するということ 想像力が管理された未来 序論 メディアミックス化する「日本」 なぜ「メディアミックス」が問題なのか メディアミックス的日常を生きる「私」たち 「生産」と「消費」が溶け合ったシステム <世界>―<趣向>モデル 「トランスメディア・ストーリーテリング」+「物語消費論」 Webへと移行した物語消費の場 語らされる仕組み 多元的発話システムを誰が管理するか 「空気」によって成立した主体なきファシズム 公共的な権利の行使を特定の私企業が行うことの是非 「スキル」と「責任」なきWeb上の発信者たち KADOKAWAとドワンゴの合併は間違っている 想像力が管理されたディストピア 第一章 物語消費というディストピア 「太平記」という<世界> 講談速記本から固有の作家へ 創造行為としての海賊版 二次創作は日本の独自文化ではない 世界共通のファンカルチャー TRPGから生まれたライトノベル 「近代主義者」春樹、「ポストモダニスト」歴彦 『涼宮ハルヒ』のキャラクター中心主義 世界をただ繰り返すしかない角川 「近代的」メディア観vs.「ポストモダン的」メディア観 巨大化した二次創作マーケットにどう対応するか 不寛容化するまんが・アニメ、拡大するおたく市場 二次創作をいかに収益化するか タダでコンテンツを創らせる仕組み 管理されていく二次創作 アジールの消滅と隷属システムの完成 企業のための表現行為 モラルなき日本企業という最大のリスク 第二章 オウム真理教とメディアミックス おたくの騙し方 メディアミックスはプロパガンダに変容しうる 近代の欲望達成の機会均等化要求 <大きな物語>の「捏造」が起こった八〇年代 政治の季節の敗北者たちがサーガを志向した 全共闘世代とおたく/新人類世代の共犯関係 中上健次の変節 大きな物語の変質の中からオウムが登場した 情報産業化した宗教 「光の戦士」と選民意識 オウムはサブカルチャーのジャンクの集合である 自分たちのつくったものがオウムの中にある ぼくたちとオウムの紙一重の差 なぜ信徒たちは麻原彰晃に帰依したのか? アイドルとゆるキャラを広告塔に 架空の歴史と本当の歴史を交換しようとするテロ メディアミックスは人々をある世界観に回収する 自制されるべきマーケティング思考 政治的な局面に入ったメディアミックス 第三章 三島由紀夫とキャラクター 江戸時代の妖怪はキャラクターか 受け手の側からのキャラクターの発見 「正チャンが成長しないのはなぜか」という疑問 「俳優」としてのキャラクター 手塚治虫のスターシステム 大正アヴァンギャルドが目指したもの 近代的な自我の容れ物 ミュシャと与謝野晶子 キャラクターに血を流す肉体を与えた手塚治虫 生身の身体と記号的な身体という二重性 成熟を回避させる装置 三島由紀夫の美意識の出自 空っぽの身体になりたがった三島 俳優志向と過激化する身体論 キャラクターとして自分を消去する メディアミックス化する「私」 参考エッセイ・レジュメ 参考エッセイ 1 物語消費というディストピア 参考エッセイ 2 オウム真理教とメディアミックス 参考エッセイ 3 三島由紀夫とキャラクター 参考エッセイ 4 The rebirth of the saga and the fabrication of history:Gundam,the Aum cult,and "Attack on Titan"サーガの復興と歴史の捏造―『ガンダム』・オウム・『進撃の巨人』 レジュメ メディアミックスについてのメモ―いかに研究するか、なにが問題か あとがき |
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